2011年07月17日
ウォークラリー下見
第三回 薩摩ISHIN祭のメインイベントでもある、ウォークラリーの下見を、7/10(日)に行ってきました。
今回で3回目ということで、コースはほぼ記憶していたのですが、改めて危険箇所や人員配置など安全確認を行うために、代表と今年のウォークラリー担当、副代表で歩くことになりました。

(重富小から見た、岩剣城跡)
9時すぎに重富小から出発し姶良小経由、帖佐館へ。
帖佐館では、先導を勤めてくださる加治木まちづくり協議会の方と打ち合わせ。
すると、近隣住民の方がいらして、帖佐周辺の史跡についてのお話。おもむろにポケットから取り出した紙には、その方が調べ上げた帖佐周辺の史跡情報が網羅されていました。まるで旅の道中で迷っていたときに現れる仙人のように。。。

(帖佐館から見た高尾城跡、画像中央のこんもりした山です)

(後藤塚周辺から見た桜島)

(コース外ですが、義弘公の弟で悲劇の武将、島津歳久公の胴体が埋葬されていた総禅寺跡)

(加治木体育館近くにある、殉死者の一人 入枝佐五右衛門生誕地)

(ラインは従来のコース)

加治木小から小烏神社を通り川沿いへ行き、その後姶良市役所 加治木総合支所へ向かう小道沿いにひっそりとある。
その後ファミレスで食事をとり、今後のウォークラリー運営について、これまでご協力いただいた団体からのご意見などを検討し、問題点の洗い出しなどを行い、再び後藤塚、実窓寺磧 (じっそうじかわら)、加治木体育館、曾木家の門、かもだ通り、加治木島津家館跡を経由してゴールの精矛神社へ向かいました。

(加治木館跡の案内碑がメタリックでカッコよくなってました!)

(加治木の新名物!ラムネ饅頭)

到着した時間は16時を回ってました。
実際のウォークラリーでは、9:00-15:00を想定しています。今回は安全確認、ルートの調整などを検討していたため、多くの時間がかかりました。
今年は、地元住民の方々との交流を増やすために、加治木町中心部の商店街「かもだ通り」をルートに入れることになりました。かもだ通りの方々と触れ合っていただき、長旅の疲れを癒す空間になれば・・・と期待しています。まだ具体的な話はこれからですが、新しい取り組みのひとつです。どうぞご期待ください!
今回で3回目ということで、コースはほぼ記憶していたのですが、改めて危険箇所や人員配置など安全確認を行うために、代表と今年のウォークラリー担当、副代表で歩くことになりました。

(重富小から見た、岩剣城跡)
9時すぎに重富小から出発し姶良小経由、帖佐館へ。
帖佐館では、先導を勤めてくださる加治木まちづくり協議会の方と打ち合わせ。
すると、近隣住民の方がいらして、帖佐周辺の史跡についてのお話。おもむろにポケットから取り出した紙には、その方が調べ上げた帖佐周辺の史跡情報が網羅されていました。まるで旅の道中で迷っていたときに現れる仙人のように。。。

(帖佐館から見た高尾城跡、画像中央のこんもりした山です)

(後藤塚周辺から見た桜島)

(コース外ですが、義弘公の弟で悲劇の武将、島津歳久公の胴体が埋葬されていた総禅寺跡)

(加治木体育館近くにある、殉死者の一人 入枝佐五右衛門生誕地)

(ラインは従来のコース)

加治木小から小烏神社を通り川沿いへ行き、その後姶良市役所 加治木総合支所へ向かう小道沿いにひっそりとある。
その後ファミレスで食事をとり、今後のウォークラリー運営について、これまでご協力いただいた団体からのご意見などを検討し、問題点の洗い出しなどを行い、再び後藤塚、実窓寺磧 (じっそうじかわら)、加治木体育館、曾木家の門、かもだ通り、加治木島津家館跡を経由してゴールの精矛神社へ向かいました。

(加治木館跡の案内碑がメタリックでカッコよくなってました!)

(加治木の新名物!ラムネ饅頭)

到着した時間は16時を回ってました。
実際のウォークラリーでは、9:00-15:00を想定しています。今回は安全確認、ルートの調整などを検討していたため、多くの時間がかかりました。
今年は、地元住民の方々との交流を増やすために、加治木町中心部の商店街「かもだ通り」をルートに入れることになりました。かもだ通りの方々と触れ合っていただき、長旅の疲れを癒す空間になれば・・・と期待しています。まだ具体的な話はこれからですが、新しい取り組みのひとつです。どうぞご期待ください!
Posted by 薩摩ISHIN祭実行委員 at 00:09│Comments(0)
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